【広瀬朝子】昼はOL、難聴のジャズシンガー《前編》最愛の父と死別、派遣切り、ハリケーン被災…試練を乗り越え夢を掴む! ジャズ,歌手,広瀬朝子,日刊ゲンダイ,日刊現代,デジタル,DIGITAL,ゲンダイ,UCW3UkCfLZBpwaGbp7gTW4XQ,jazz,singer,ジャズシンガー,アン・ミュージックスクール,ニューオリンズ,Bob French,Eddie Bo,Richard Moten,Charmaine Neville,Roland Guerin,ハリケーン・カトリーナ,メンフィス,大阪,東京,難聴,アメリカン・エクスプレス,amex,大橋実穂,グラミー賞,アメックス,派遣切り,Bar nasa,自由が丘,奥沢,Bar ZAZIE,中野,ドキュメンタリーの情報です。
難聴になったことがありませんが、よく定期検診で難聴テストがありますよね、、、
あれで、難聴がわかるのでしょうか???
難聴のイメージは歳を重ねた人がなる病気。病気というか能力が少しずつ減少していく感じですよね、、、
昔に、音楽ライブハウスに通っていたとき、耳がガンガンして難聴に成りかけました、、、その後に自然に治って良かったです。
難聴は老人のイメージですが、若い人たちがイヤホンで音楽を日常的に聴いているために、難聴になりやすいのでは無いでしょうかね、、、
早く難聴に関する情報を掴んで、日常生活での改善をしてほしいです。
さて、難聴とはどんなものでしゅうか??
難聴(なんちょう、英語: hearing impairment)とは、聴覚が低下した状態のことで、みんながなります。
耳科学的には、聴覚の諸機能の感度や精度が若年健聴者、即ち、耳科学的に正常な18歳から30歳までの多数の評定者の聴覚閾(域)値の
最頻値 (0dB HL) よりも劣っている事です。なので、定期検診で音を聴くのですね。
他にもメニエール病とか有名です。このメニエール症候群とは低音域から始まる感音難聴が特徴で次第に中音域や高音域も感音難聴となっていきます。
怖い病気ですよね、、あとは突発性難聴などもあるので怖い、、、、、
また、元々正常聴力だった者が、失聴とまではゆかないまでも難聴になった場合は問題がややこしいです。
周囲の者と会話などが上手くゆかず、結果として孤立に陥ることになります。
そうならないように補聴器などの補助具もありますが、補聴器の効果が出ないケースもあるみたいです。コミュニティが崩壊。怖いことです。
それから、老人性難聴などのケースでは、比較的低い周波数帯の音に対する聴力は良好に保たれている場合もあるため、
張り上げた声(高い周波数の比較的強い音)はよく聞こえないが、ボソリとした声(低い周波数で比較的弱い音)だと
聞こえてしまうことがあり、これが「年寄りは陰口だけしっかり聞いている」などといった誤解を生む場合もあり。誤解も怖い怖い。。。
他に、例えばテレビの音がうるさいなどといったことが原因で、周囲との摩擦に発展して喧嘩ばかりします。夫婦間でもトラブりです。
このように難聴は厄介です。早めの診断と治療を開始しましょう、、、
この動画には難聴に関する情報が発信されていますから、ウォッチングしておきましょう、、、
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昼はOLをしながら、ジャズ歌手として活躍している女性がいる。
広瀬朝子さん。実は彼女、2年前に耳を悪くし、難聴というハンディを負いながら今も歌い続けている。
◆公式ブログ
https://ameblo.jp/jazzsinger-asako/
グラミー賞を受賞したサックスマンも参加したアルバムを日米で自費出版し、活動を広げている。
外出する時はヘッドフォンや耳栓が必需品だ。
さらにここに至るまで、多くの試練が彼女を襲った。
21歳で最愛の父との死別。
さらに語学留学をしながらジャスの勉強していたニューオリンズでハリケーン「カトリーナ」に被災し、避難生活を経験。
帰国を余儀なくされた。
さらに派遣で働いていた会社からの突然の契約解除、いわゆる派遣切りも数度も経験した。
現在は、1年前に派遣で働いていた外資系会社に認められて正社員として事務の仕事をしている。
多くの試練を乗り越え、そして、今も難聴というハンディを抱えながら、ジャズ歌手という夢を追い求める広瀬さんを追った、本格ドキュメンタリーである。
Japanese Jazz Singer ASAKO HIROSE -on the road to the dream-
広瀬朝子 – 歌手
asakohirose.com
大阪出身。幼少の頃から独学でピアノを学び、小学生の頃には作曲も手がけるようになる。中学時代はバンドでドラムを担当。高校時代には自身のオリジナルバンドを結成しボーカルを勤めるようになると同時にボイストレーニングを学び始める。その後、アン・ミュージックスクールヴォーカル科で学び、単身ニューオリンズへ移住。ニューオリンズのレジェンド的ドラマーBob FrenchがDJを勤めるWWOZのラジオ番組では生放送で歌声を披露。Bob Frenchを始め、Eddie Bo、Richard Moten、Charmaine Neville、 Roland Guerinなど現地ミュージシャンとも多数共演。ニューオリンズを中心に大きな被害をもたらしたハリケーン・カトリーナで被災し、メンフィスで避難生活を送った後、2006年に帰国。
都内のバーやライブハウスなどで活動しながら、2016年7月にニューヨークでグラミー受賞ミュージシャンらとレコーディングした自身の1stアルバムをリリース。全国8箇所を回ったレコ発全国ツアーも行った。トラディッショナルなナンバーをフリージャズアレンジにするなど、広瀬朝子の自由な発想によるアレンジも話題となっている。
Asako is from Osaka.She started playing instruments as like toys in her child food and wrote musics at age of six.Then she played drums in a band during her teens.
She has entered AN Music School in Tokyo and decided to be a singer.After she studied vocal at there, moved to New Orleans to study Jazz.
In 2005, she suffered Hurricane Katrina which was hit around New Orleans and evacuated to Memphis.
After she went back to Japan, singing at bars and clubs in Osaka and Tokyo.
Her first album “That’s How I Am” is recorded in New York and arranged with her unique ideas such as making a traditional number a free jazz arrangement is available in Amazon, iTunes, Spotify and more!
#広瀬朝子#ジャズシンガー#日刊ゲンダイ
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